【第10話】出発編: クライストチャーチへの移動について (2012年2月11から12日の出来事) [海外ツーリング(出発編)]
第10話は、「クライストチャーチへの移動について」についてお話します。
2011年12月に無事にオートバイを輸出業者に引き渡しを終えて3ヶ月後の2012年2月11日のフライトでニュージーランド クライストチャーチに旅立ちました。
横浜YCATで成田空港まで移動しています。川崎港が見えてきました。
ここからオートバイが船便に載ってNZに向かったのですね。
成田空港に到着です。18:30発のNZ90便に乗りました。
18:30発のNZ90便です。
クライストチャーチへ向かっています。
クライストチャーチ空港に到着して、宿に移動後に早速市内を見て回りました。
皆さんご存知にように2011年2月に発生したクライストチャーチ大地震(カンタベリー大地震)にて市内は甚大な被害を被り、185人の尊い命が失われています。その中には日本人の方々約20名も含まれています。
この場を借りて犠牲になられた方々の御冥福をお祈りします。
下の写真はクライストチャーチ市中心部の案内図ですが、朱色の領域は未だに復興が進んでおらず立ち入り禁止になっている区域を示しています。震災後にニュージーランド政府が人が立ち入るには危険な領域と判定して、1年以上たっても建物の撤去もしくは復旧がなされていない区域です。
正直驚きました。。。 1年もたっているのに。。 様々な事情があるのでしょう。
クライストチャーチの少しでも早い復興をお祈りします。
市内の至る所にこのような献花がなされています。もしかしてここでも誰かがお亡くなりになったのでしょうか。その場で手をあわさずにはいられませんでした。
市内を歩くと、先ほどの朱色区域はこのようにフェンスで隔離されて一般の人々は立ち入れず。ほとんど手付かずの状態が露呈されています。。
下の写真のように復興作業として取り壊しを行っている所もありますが、ほんの一部でした。
国や自治体が財政的にテコ入れをして復興を加速しなければいけないのに、財政的に厳しく苦悶するお国事情がこの光景からも伺えます。
バイク(BMW)でこの光景を見ているNZライダーがおられました。
さらに歩くと 185 Empty Chairs (185の空席) と称されたオブジェがありました。 これだけの方々が2011年2月22日に亡くなられています。その場でしばらく時間を過ごしました。
このように、いわゆる液状化現象の痕跡が至る所で見られました。復興が追いついていないお国事情がここでも伺えます。
建物を取り壊して更地になった区域です。
このモダンな建物もガラス窓が割れた状態で放置されています。。。
このような状態で立ち入り禁止区域がフェンスで隔離されており、その中には手付かずの状態でゴーストタウンのような状態になっています。
郊外の幹線道路にある元は教会のような建物ですが、これもこのような状態に。。
クライストチャーチはこのように石作りの歴史的な建築物が多く、その被害が大きかったようです。
クライストチャーチ大聖堂もその被害が甚大で倒壊してしまっており、立ち入り禁止区域内にありみるとはできませんでした。
とはいえ、復興も進んでいる区域もあり、このように人で賑わう場所もありました。
ちょっとこのカフェでのんびりしました。
クライストチャーチは緑が豊かでとても美しい街でした。しばし心が和みます。
ポプラ並木です。
意外な場所でわが母校をしばし思い出しました。。。
明日からのツーリング出発に向けて、ガスカートリッジ等の買い物をしようとネットでアウトドアショップを検索しておいたのですが。。。 このように被災されておりクローズしていました。
次回は、翌日のオートバイの受け取りとツーリング出発につき御紹介いたします。
実は初日からオートバイ電装系トラブル発生で若干難儀したのですが、クライストチャーチ到着翌日には通関/WOF/登録を終えたオートバイを受け取ることができスムーズにツーリングに出発できました。